【No.28】働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。

※当サイトはアフィリエイト広告を含む場合があります

働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。」を読む目的

大学生の頃に読んだ。

就活前に考えてた、なぜ僕たちは働くのだろうという疑問を解消するため

学び、気づき

働く理由、最もしっくりきたのは次の言葉だった

「俺は今生きているぞ」という実感をもてるかどうかは「自分は他者と繋がっている」という感覚を持てているかどうかと深く関係している

メモ

もう僕たちの時代ではよほどのことがない限り、食事や服、住むところに困ることはない。欲しいものも自分の生活レベルにあったものを手に入れながらたまの贅沢をするくらいのことはできるのが当たり前になったから。そんな時代で僕たちは「なんのために働く?

貧しい時代は人の関心はとにかく「お金」にあった。「やりがい」なんて二の次だった。しかし、現代の豊かな社会では「やりがい」の地位が上がっている。

人間は他社と繋がりたいという欲望を持った存在である。なぜならば、人間は自分の存在を証明することはできず、他社との交流を通じて得られる他者からの承認によってしか自分の存在を証明できないから。

仕事を介して自分と世界がつながるということは、歴史や社会の中に自分の役割を見つけることだ。役割は責任感を生み出し、責任感は生きる意欲につながる。

人は自分の知らない職業には興味を持てないもの。若い子が将来どうゆう職業に就きたいかと考えた時、大抵の人はみんながよく知っている職業しか出てこない。それは、単に世の中にどんな職業があるか知らないから。

若いうちは自分の枠を狭めないこと、自分の可能性を狭めないこと。自分の枠や自分の可能性を広げていくようにするべきだ。

ただ映画監督になりたいのか、面白い映画を作りたいから映画監督になりたいのか。

何々になろうとするものは多いが、何々をしようとするものは少ない。何がしたい?Aになろうと考える前に、何々がしたい。だからAになる必要がある。もしくは何々をしたいならAしか選択肢はないのか?

興味は名詞ではなく動詞で考える

やりたいことが必ずしもできるわけではない。まずはボランティアでもインターンシップでも、アルバイトでもいいから飛び込め

才能の大部分は情熱を失わずに努力を続けられる能力である。

「いったいどれだけ努力すればよいか」という人がいるが、「君は人生をなんだと思うか」と反問したい。努力して創造していく間こそ人生なのである。

創造する力とは要するに組み合わせる力。組み合わせの元になる絶対的な情報の量が必要。

情報の質(アウトプット)=量(インプット)=感じる力

平穏な毎日が幸せとは限らない。平穏はやがて平穏であるのがつまらない時がくるし、幸せは幸せであるのがつまらない、という時がくる。幸福は常に努力する生活の中のみにある。

型破りな生き方がしたいのならまずはしっかりと型を身につけなければならない。型を身につけた上でさらに精進を続けた時に型に収まらなくなる時が来る。独創的なことがしたいのなら、まずは真似から入るしかない。模倣と反復という土台なしには、独創性は生まれてこない

価値観とは自分らしさ、自分のこだわり、自分のやる気の元、自分の大事にしたいこと。

自分の価値観を知るとは、「自分にとっていい仕事とは何か」を明確にすることである。

芸術家はあらかじめ表現したいことがあって、それを表現するのではない。表現することによって、自分が何を表現したかったのかを知るのである。つまり、仕事もやってみれば何かを掴むかもしれない。実際に仕事をしてみて初めて自分の価値観や興味、能力を知ることができる。

成功と幸福は異なる。成功とは一般的な世間の評価であり、質的ではなく、量的にはかられる。幸福は個別的な自己認識であり、量的でハンク質的にとらえられる

自信には2種類ある。経験や実績に基づいて得た自信と、他人を見下して得る自信。後者は実際に努力をしないので成功しない。長続きしない。いつまでも仮想的有能感に浸ったまま成長しない。

外的基準と内的基準。外的基準は他人からの評価などの人から見た基準。内的基準は自分の中に存在する物差し。キャリアアップできれば成功と考えるのは外的基準。キャリアにアップもダウンもないよね自分らしいキャリアを積めてるのだからとなるのは内的基準。外的基準は成功か失敗か。内的基準は幸福か不幸か。

我々は、安逸と贅沢が得られなければ人生の幸福はあり得ない、と考えているが、実際に人を真に幸福にするものは、何か我を忘れて取り組める事柄を持つことである。

仕事は人生に「定まった軌道」をもたらす。仕事をすると生活にリズムが生まれる。定まった軌道やリズムは肉体にも精神にもハリを与える。肉体や精神は使わないとすぐに錆びつき、朽ちてしまう。

幸福は求めるものではない。「今」「ここ」「このこと」を大切にしながら生きている心の状態ーそれが幸福。

人間は関係的存在である。故に、何かを飽きずにやり続けるためには人から必要とされる必要がある。何かをしようというきになるのは、誰か他の人にその気にさせられていることが多い。

働くことの目的がお金という人は「仕事をしなくてもすむ人生こそが幸福だ」と考える。そうゆう人にとって働くということは労働だ。そうではなく、働くことそのものの中に喜びや生きがいや自分の人生の目的をこめられる時、それは労働ではなく、仕事となる。

なすべき仕事をたくさん持っている人は休息を楽しむことができる。しかし、なすべき仕事を持っていない人は、心から休息を楽しむことはできない。

従業員は単なるコストにすぎないのか。それとも人財なのか。あなたの働いている会社はあるいはあなたがこれから働こうとしている会社の経営者は、人をどんな風に考えているのか。

20代は自分のエネルギーを集中する的を絞り込んでいく期間。30代はそれまでの蓄積を元に、「立つ」年代。20代で一つに絞った”的”に向かって、何かを始める年代。

迷いながら歩けばいい。出発点において「自分のやりたいことがはっきりしている」なんてことはほとんどあり得ない。との途中で「自分おやりたいことはこれかもしれない!」と気づいたり、終着点において「結局のところ自分のやりたかったことはこれだったんだ」と納得するような、そんなやり方しかないから。

後悔するかしないかは、結果に依存するのではなく過程に依存する。

全ての決定は仮決定である。最終決定ではない。だから、とりあえず決定する。あなたの未来は決定から始まるのだ。そして、前に進むこと。間違ったらやり直せばいい。あなたには「失敗する自由」がある。

「自分には能力が足りない、だけど始めてみる」という考え方では不十分。「自分には能力が足りない、だからこそ、それを始めてみる」というのが正しい考え方。

能力とは天からの贈り物ではない。能力とは自分で作り上げるものである。だから、自分に枠をはめてしまってはダメ。

仕事はキリのいいところまで終わらしてしまわずに、少しだけ仕事をやり残しておく。そうすると翌日スムーズに仕事に入っていける。

「自分は何をしたらいいのかわからない」という人に対して適したアドバイスは存在しない。なぜならこの問いは実用的ではなく哲学的だから。「哲学を学ぶことはできない。哲学することを学びうるだけである」行動することと考えることを繰り返して行くしかない。

お金ではなくやりがい。自分ではなく他者のために働くというポジションに立ち位置を変える

社会は自分の力ではどうにもならないものだと思ってしまうと無力感に苛まれる。しかし、社会は人と人が織りなす網の目のようなものだと考えればいい。一人一人が社会のために働いているから社会が成り立っているのだ。

自分に合った職業を探すという視点に止まらず、地域や国、地球規模え我々が直面している多くの問題に注目し、それを解決する為に自分が貢献できそうな仕事、自分が使命感を持って取り組めるような仕事を探すという視点を持つ。

「自分に向いている仕事、自分に向いていない仕事」という視点だけで自分のキャリアを考えると人間が小さくなる。やって見る価値がある仕事だと思えば、自分にできない仕事であっても、それはいまの自分にできないだけの話であって、努力を積み重ねてできるようになればいい。「俺がやらなきゃ誰がやる」くらいの情熱を持って仕事を選ぶことも大事だ。そうでないと心の底からやる気が湧いてくることはない。

「なりたい職業名」X「マイ・テーマ」X「実現したい世界観」

人に消費を促しているのは大部分が虚栄心。つまり「他人に見栄を張りたがる心」

経済成長によって飢える事のない豊かな社会が実現したのはいい事だ。しかし、豊かな社会を支えているのは虚栄心を追い求める熱病にかかっている消費者と、消費者を熱病に感染させる生産者だとすれば、それは本当にいい社会なのだろうか

これまでと同じように経済成長を目指して行くのか、いやもっと別の道があるのか、そんなところまで掘り下げ、どうゆう社会を作って行く必要があるのか考える時がきたのではないか。どうゆう社会を作るのか。その為にどうゆう会社であるべきか。そして、自分は何を目指してどうゆう会社でどんな仕事をするのか

所得が増えても時間的に余裕ができないのはなぜか?それは、時間を無駄にできない、生活レベルを下げたくないという2つの意識があるから。人は所得が上がるにつれ生活レベルをあげるのが常。しかし、それでは時間的余裕は生まれない。所得が上がっても生活レベルをあげなければいいのだ

「俺は今生きているぞ」という実感をもてるかどうかは「自分は他者と繋がっている」という感覚を持てているかどうかと深く関係している

人生の意味を他者に問うてはいけない。人生に普遍的な意味はない。他者はあなたではないから答えようがない。それは自分で考えるしかない。「見つけ出そう」としなければならない。自分の周りを眺め、「何があなたの力を必要としているか」「誰があなたの力を必要としているか」を考えてみる。そして、なんらかの行為を起こす。そうした行為の束こそが自分である。その行為を起こそうとする動機こそが、あなたの人生の意味である。

僕たちは消しゴムとは違う。人間は自分の意思と努力によって新しい自分や新しい環境を作って行くことができる。

自己紹介は所属している会社や仕事内容、持っている資格、趣味と言った話をしても頭に残らない。そうではなく「これまでしてきたこと」「いましていること」「これからしていきたいこと」を話した方がずっと頭に残る

湖に浮かべたボートのように 人は後ろ向きに未来に入っていく 眼に映るのは過去の風景ばかり 明日の景色は誰も知らない (ヴァレリー 詩人)

現在の点が未来で繋がる為には鮮明な点を打たなければならない。自分の深い欲望に耳を傾けながら自分のやるべきことをやる、場面場面で自分の力を100%出し切る

生きるとは自分の物語を作ることである。自分の物語なのだから「自分で考えて」「自分で決定して」「自分で実行すること」が何をおいても大事なこと。

しかし、その一方で「自分の物語」と言っても自分の殻に閉じこもってはいけない。自分を他者に開いていこう。まずは自分ではなく他者に関心を向ける。そして、なんらかのテーマを見つけてそれに一生懸命に取り組んでみる。そうゆう中で自分が少しずつ作られてくる。交友取り組み自体が「自分の物語」となる。

人と人は仕事を通じてしか本当の意味で付き合うことはできない。

課題を引き受けること、そしてそれに取り組むことが重要である。問題と違って、課題には正解がない。引き受けること、取り組むことーそれ自体に意味がある。

ネクストアクション

人の役に立ち、それでいて自分の生を実感する

じゃあ自分が最も人の役に立てることをしよう

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です